RSSアフィリエイト

2007年10月06日

孤立無援の思想、再読

高校の時に読んだ、「孤立無援の思想」を古書で買った。
特にこれと言った深い意味はないけれど、
最近出会った人達に重なるからかもしれない。

高橋和巳に触れたのは森田童子の歌があったからだ。
当時、高校教師というドラマが流行っていて、
主題歌の「ぼくたちの失敗」を森田童子(…当時既に過去のシンガーだった)が歌っており、
ベスト盤を買ったら「孤立無援の唄」が入っていた。

自分は三島由紀夫とかタルホとかそちらが好きで。
父親はノンポリで、逆に学校を占拠しようとする連中と闘い、教授陣を守っていたらしい。
浅間山荘の映像なんかを見ると、激しく機動隊を応援している。
それほどでもないが、三島先生も好きだったらしい。

自分が入った高校の図書館は実に様々なジャンルが網羅されていた。
日本の古典、社寺、服飾、政治思想、民俗学、医薬、詩歌…興味のあるものはほぼ揃っていて、足りなければ本を入れてもらった。
それを読むのは結局自分しか居なかったけれど。
…高橋和巳の本はその中で埃を被っていた。


ネエ何か おもしろいことないかなァ 
貸本屋の のき下で雨やどり
君は むずかしい顔して 
立読みしながら 
本を盗んだ
ぼくの 自転車の 
うしろで 
孤立無援の思想を読んだ

春になったら 
就職するかなァ 
壁に向かって 逆立ちして 笑った
机の上の 高橋和己は 
おこった顔して 
さかさに見える
どうして 
いきていいのか 
わからぬ ふたりが 
畳の上にねそべっている
(「孤立無援の唄」森田童子)

ああ、この人の本だったのか!と手に取った。
労働者階級がどうのとか社会主義とか、懐かしの映像番組に出てくる、
自分の父親の世代の話の事が
沢山書いてあるとしか最初は思わなかった。

中学3年で、あの組織の社会科の先生と口論したことはあった。
その先生達は学校行事でいつも座っていた。
高校に入ってからもそんな先生ばかりで。
先生と喧嘩するのはいつもそう言った事柄からだった。
先生たちの言い分が、この国を去勢するようにしか感じられなかったからだ。

久方ぶりに読む高橋和巳は些か刺激的だ。
抑え付けていた衝動を突き動かされるような。
椎名林檎で言うなら「本能」かな。

孤立無援の思想の中で、今のアメリカにも向けられるべき言葉もある。
ベトナム戦争を庶民がああだこうだと論じても無意味であり、
それよりも「日々泥土の内に死んでゆく兵士の死骸のみを非政治的にひたすら凝視すること、そしてみずからの無力感と絶望を噛みしめる」のが有意義だと。
それは何故かと高橋和巳は記す。
「少なくとも二つの体制が対立しているゆえに戦われるという戦争の相とは別に、二つの体制が自己自身を保存するために、直接火の粉のふりかからぬ場所とその人民を犠牲にしている今一つの恐ろしい政治の相があきらかになるからである」

三島先生にも触れている。

「三島由紀夫のかわることなき指標である〈美〉は、つねに現前する甲殻の美であるゆえに、弱さとはとうてい結びつきえない性格を持っていた。
内部の美とは虚妄にすぎない。そして、悲劇は強者にのみおこりうる。反逆者の硬質の殻におおわれていてのみ、また悲劇は美しい(「仮面の美学」)」

この的確な言葉には震えざるを得ない。
…一番震えるのはこの言葉だ。

「これも拒絶し、あれも拒絶し、そのあげくのはてに徒手空拳、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する。」

そんな人達がいて、少しだけ知っている。
どうか負けないでいて欲しい。

071006_1632~01muen.jpg









posted by ひらりん at 23:01| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/59270184
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック